バトリックを含む拡大家族(親子、兄弟、姉妹など近親者の核家族が共に生活する大家族)はその後、クィーンズランドへと住まいを移しました。
1879年までにバトリックは、
「まず最初の山をあて、50万ポンドの金を懐に入れようとしていた」。
・・・1880年代までに、一族の事業は西オーストラリアのキンバリー地方にまで広がっています。
しかし1890年代に入り、クィーンズランドでは投機ブームの過熱を見て、オーストラリア東部が慢性的不況に陥ったため、こうした「草の城の王達」は手痛い打撃を受けました。
それ以後一族は、キンバリーの所有地を中心に寄り集まり、依然恵まれた境遇にあったにもかかわらず、過これら金融機関の大半は、人の手で支配されていました。
デュラックス家の話は、他の人々に教訓を与えました。
恵まれた土地の大半は、すでにスクォーターや初期入植者の手中に渡っていたため、多くの移民は奥地へ入るという危険な賭けを冒す覚悟をしていなかったのです。
1890年代に金が発見されたことにより、一部の人々は西オーストラリアに引き寄せられていました。
しかし新参者の大半は、最低限仕事にだけはありつけそうな市や町の近くに留まりました。
・・・その結果、こうした移民が建築ブームをあおり、19世紀後半には都市の成長が記録されたのです。