19世紀前半のニューサウスウェールズでは、新天地のことを書き送った私信がもととなり、他の南アイルランド人に移住を促すきっかけをつくっていった様です。
彼らを移住にかりたてたものは、アイルランドがおかれていた状況の中にありました。
1840年代の大飢饉では、ほとんどの人々がアメリカへ渡りました。
飢饉の後にアイルランド人地主がとった再建計画により、多くの入々が長旅もいとわずオーストラリアへ向かう状態が生じています。
地主は自らの利益を上げようと、小作人を農地から追い立てました。
農民は長子相続制を守るため、子供に分割することによる土地の細分化を拒否するのが慣例で、結婚を通じて土地に対する所有権を固めようとしました。
長男以外は冷や飯食いの立場にありました。
年長ですでに結婚している兄弟に比べ、年が若く独身の人々には、早くからオーストラリアに移住する用意があったのです。
(1850年以降の20年間にオーストラリアに移住したアイルランド人の、約85%は独身でした)。
・・・1871年までには、100、000人のアイルランド人がビクトリアに在住し、彼らとその子供達は、170、000人にのぼる植民地のローマカトリック教徒の中で、大きな比重を占めるに至っています。