労働組合主義の原理は、労働者とその家族とを緊密に結びつけることとなりました。
当然のことながら、オーストラリアの炭鉱においても労働組合主義が出現しました。
その思想は英国入鉱夫の手により英国から持ち込まれ、ノーサンバーランド、ダーラム、ファイフシャーで生まれたその目的と姿勢は、タイン川に臨む英国のニューカッスルに根を下ろしたごとく、ハンター川に臨むオーストラリアのニューカッスルにもその根を下ろしました。
炭鉱での労働方法、村での生活、経営姿勢は、イングランド方式を手本としました。
19世紀全般を通じ、組合指導者のほとんどは、英国の炭鉱夫と同じ就業態度で仕事に臨むようになっていきました。
主要な炭鉱会社は英国に本社を持ち、管理職はここで研修を受けます。
ジェイムズ・カーリーは、ニューカッスル地方での組合運動と、地域社会での生活とに積極的に加わりました。
ダーラム生まれのカーリーは、11才の時からノーサンバーランドの炭鉱で、鉱夫として働き始めていました。
1873年オーストラリアへ来た後、カーリーは1880年代を通じて北部炭田地帯の労働組合を率いる指導力ある代表者となりました。
彼の見解は、次第に穏健派の傾向を強めてゆくことになります。
また、カーリーは生涯を通じてメソジスト教会の熱心な信徒でもあり続けたのです。
これら新興労働組合の代表者と、1850年代の技術職人の世代とを区別したものは、社会変化への対応の仕方(多くの人々は変化に対しては慎重な態度をとり、従来の方法を守り続けた)にあったというより、労働者階級の連帯感の強さにありました。