2010年12月アーカイブ

14週間にわたって職を失い、エドワードは妻とその妹と共に、オーストラリアへ移住する意を決しました。


オーストラリアまでの船旅は、3ケ月半に及ぶ日数を要したのですが、船賃には政府の補助がついていたため、エドワードらは、1人につき4ポンド(8ドル)の代金を支払っています。


オーストラリア到着後、彼はほどなくして拡張されたばかりのシドニー大学に、助手として雇われることとなりました。


エドワードは、1917年に61才で世を去るまで、このポストに留まっていました。


エドワード・ハットンの様に好運に恵まれた移民はあまり例がなかったのです。


・・・にもかかわらず、1890年代を迎えるまでのオーストラリア経済は、バラ色に見えた。


1880年当時、イングランド南部および南西部で働く農業労働者の週給は、13シリングス(1.3ドル)か14シリングス(1.4ドル)そこそこでした。


ニューサウスウェールズでは、一般労働者の日給が7シリングス(70セント)から9シリングス(90セント)であったのに対し、農場労働者には賄い付きで、30ポンド(60ドル)から45ポンド(90ドル)の年収がありました。


しかし、やって来たばかりの移民全員に対し、すぐに職が提供されるというわけではなかったのです。


技術労働者でさえ、時には職につけないことがありました。


こうした事態が発生すると、英国にいる労働者仲間に対し、注意を促そうとする試みがなされました。

19世紀後半にロンドンから来た470人のオーストラリア移民を調査した結果、最貧スラム街の出身者こそほとんどいなかったものの、半数近くは貧しい暮らしを送っていたことが判明しました。


ロンドン中心部出身の移民は、その6分の5が平均25才前後で、オーストラリアに向かう以前も、少なくとも一度は転居を経験しています。


自分の父より社会的評価の高い仕事についた者はほとんどなかった反面、半数は父親の階級より落ちぶれていました。


19世紀初頭の移民がそうであった様に貧乏から逃れ、生活の向上を願うほとんどの人々は、移住に対して関心を示しました。


中でもより良い環境は、移民が毎年求め続けたテーマの1つでした。


困難に直面している何千という人々は、オーストラリア、ニュージーランドへ移住することで何を得、また何を失うのでしょうか。


大英帝国の気候は霧が多い上に変わりやすいため、オーストラリアに行くことで健康的になり、元気もわいてくるでしょう。


移民達は、憂うつな暮らしのかわりに、快適な生活を得るのです。


健康、強さ、幸福を手に入れることになります。


また、文明社会から来たということで、新天地の政治、経済、宗教からは、最大級の歓迎を受けることでしょう。


「実際、移民達は生活を豊かにし、幸福にするためのあらゆる自然の要素と、文明の利点とをオーストラリアに見い出すことになろう」。


・・・北イングランドの鉄工場で働いていた23才のエドワード・ハットンは、1879年に英国を去りオーストラリアに向かった移民の1人でした。

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